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水原理枝子さんが死去

 投稿者:daisuke  投稿日:2018年 3月15日(木)00時22分7秒
  通報 編集済
  定期購読をしている「月刊バレーボール」4月号が今日届きました。その中の記事を見て驚いているのですが、元全日本、幻のモスクワ五輪代表の水原理枝子さん(現姓伊藤)が病気療養中だったところ、都内の病院で3月6日午後10時17分に死去したとの事。享年61。

モスクワ五輪前後の全日本女子において、不動のライトポジション。小気味良いサウスポーからのアタックは定評がありました。同じサウスポーでも、大林素子や長岡とは全く違うタイプのリズミカルなアタッカー。彼女らほどの高さは無かったかもしれませんが、セッターの小川とのコンビが抜群の安定感あるアタッカーでした。確か、お姉さんが当時の日立武蔵に入団し、姉妹での入団は避ける形で水原本人はユニチカに入社。随分と怪我に泣かされた事もあったようですが、コツコツと病院に通っては練習し、克服。
77年の日本開催のワールドカップでは控えではありましたが金メダル。翌年の世界選手権は負傷のため出場出来ず、小島孝治監督の下で悲願の金メダルを目指した80年モスクワ五輪は残念ながらボイコットに泣きました。翌81年の日本開催のワールドカップでは、モスクワ五輪の雪辱を果たすべく、獅子奮迅の活躍で、中国、米国に敗れたものの銀メダル。翌82年のペルーでの世界選手権はペルー、中国、米国に敗れて4位。それが最後の水原の全日本でした。
国内ではユニチカの連覇に貢献するなど多大な活躍。ライバル日立・山田重雄監督をして「ウチは水原が邪魔で邪魔で仕方なかった」と言わしめた。これは選手としては最大級の賛辞でしょう。

引退後は、当時の月刊バレーボールの編集長の方と結婚されたと思います。その後も、春高コーチングキャラバンなどでも活躍されていました。印象に残る選手でした。五輪の場に立たせて上げたかった。心より御冥福をお祈りします。
 
 
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